巨大噴火に埋もれていた幻の縄文文化
目の前に迫っているのは、太古の姿をとどめる活火山の島「薩摩硫黄島」。
この活火山も海底火山のほんの一部。この海域には、硫黄島を火口の一部とする海底火山「鬼界カルデラ」が眠っている。直径20`の噴火口をもつ巨大な火山である。
今から6,300年前(放射性炭素年代測定)の縄文時代、その「鬼界カルデラ」が大噴火を起こしていたことがわかった。
爆発規模は、フィリッピン・ピナツボ火山の10〜15倍。雲仙普賢岳のおよそ100倍と驚異的で、過去一万年の日本火山史の中では最大の噴火である。
上空3万mの成層圏にまで達した大量の火山灰は、遠く、東北地方にまで飛散ほどで、南九州一帯は、60cm以上の厚さで埋め尽くされた。
異彩を放つ黄色やオレンジ色の火山灰地層。これこそが「鬼界カルデラ」の大噴火がもたらした火山灰「アカホヤ」。
今、その分厚い地層の下から次々と遺跡が発掘されている。
そこからは日本列島の南で大発展を遂げながら忽然と消えた、幻の文化の姿が浮かび上がってきている。
日本最古で最大級の定住集落が発掘されただけでなく、出土する遺物や遺構の多くが、それまでの縄文時代という概念を揺さぶるものだった。
海洋民の存在を感じさせる世界最古の舟作り工具、貝殻文様の土器。されには独特の燻製施設や大量の石の炉跡、最古の耳飾りや巨大な壺型土器などなど、不思議で謎に満ちた遺物遺構が続々と出てきた。
南九州諸火山と火山灰
@ 姶良(あいら)カルデラ=約2万5千年前、桜島=約2万年前、
A 阿多カルデラ=約9万年前、池田湖=約5,500年前、開聞岳(かいもん)=約4,000年前、
B 鬼界カルデラ(薩摩硫黄島)=縄文時代の噴火は約6,500年前


鬼界カルデラの爆発は、日本における完新世=縄文時代最大の噴火と言われる。
鹿児島県国分市。今から4年前(1997)。桜島を望む標高250mの高台で、工業団地の造成中に、遺跡を発見。
「上野原遺跡」明らかに9,500年前という日本で最も古く規模の大きな定住集落。
東日本を中心に栄えたとされる縄文文化の常識を覆す大発見。
鬼界アカホヤ火山灰(きかいアカホヤかざんばい)は、約7300年前の鬼界カルデラの大噴火に伴って噴出した火山灰。幸屋火砕流と同時に噴出した火山灰のうち、上空に噴き上げられてから地上に降下したものをいう。偏西風にのって東北地方まで到達した。 火山灰に覆われた面積は約200万km2、体積は約100km3にもなる。 テフラとしての記号はK-Ah。AKの略称でも呼ばれる。
九州南部において地下の比較的浅い場所に厚さ約1mの層をなしており、四国、中国地方西南部および紀伊半島においても層として確認することができる。 種子島では、20〜40センチ、琵琶湖では3〜5センチの厚さである。 また、層が不明瞭な地域においては土壌分析によって検出可能であり、おおむね日本全域で確認されている。 白色または淡褐色(オレンジ色)を呈し、農業には適さない。
大阪では、 東浅香山遺跡は、堺市の北端・北区東浅香山町4丁に位置しています。遺跡の中央には南北方向の谷筋があって、光竜寺(こうりゅうじ)川が流れていす。
また、北側には宝永元年(1704)に開削された大和川があります。
この遺跡は新日本製鐵株式会社の社宅跡地再開発事業に先立つ試掘調査新たに発見されました。平成6年から10年にわたる計35,717m2の発掘調査の結果、住居の跡は見つかりませんでしたが、いろいろなことがわかりました。主な成果は以下のとおりです。
まず、堺市の調査としては初めて火山灰を確認しました。6,300年前の鬼界(きかい)−アカホヤ火山灰は現地表下90cmで、24,000〜25,000年前の姶良(あいら)―丹沢火山灰は現地表下110cmで確認しました。
火山灰に含まれる火山ガラスを顕微鏡で見るといろいろな形がありその特徴から、噴火した火山がわかりました。発掘現場では、雨上がりに小さくキラキラ光るこの火山ガラスがたくさん見えました。残念ながら、いっしょに土器や石器は見つかっていませんが、西日本で広く確認されている鹿児島の火山の火山灰層が、市内でも大阪府教育委員会が発掘調査を行った南花田遺跡、小阪遺跡、野々井遺跡等についで確認できたことの意味は大きいのではないでしょうか。
(堺市埋蔵文化財センター=http://www.city.sakai.osaka.jp/kyoiku/_syougai/_maibun/hasayama.html)
人間の生活圏に降る火山灰は、人間にとって困りものである。日常生活にも大きく影響し、火山灰が多く降り注ぐ日は視界も悪く洗濯物も外には干せない。多量に降ると農作物に被害が出る場合もある。
大都市の市内に火山灰を噴出する活火山がある例として、鹿児島市の桜島が最も有名である。夏季は東よりの風に乗って鹿児島市方面で降灰し、冬季は西よりの風に乗って大隅半島での降灰が多いと言われるが、風向きは変化し易いので、周辺地域では一年中降灰が見られる。そのため、鹿児島地方気象台では、桜島上空の風のデータをもとに降灰の予報も出している。
また、空気中に漂う火山灰もあるため、雨の日には灰混じりの雨が降り、色の薄い洋服を着ていると雨にあたった部分が黒ずんでしまう。このような地域性のため、鹿児島市の中心部商店街である天文館ではアーケードが非常に発達している。更に、鹿児島市内には「火山灰集積所」が随所にあり、洗濯物は外に干さないのが一般的である(九州地方では黄砂がよく観測されるため、黄砂対策の面も少なからずある)。
古代ローマ時代、建材として使われていたコンクリートには、火山灰が使用されていたと言われるが、その方法は現代に伝わっていない。しかしながら、現在、コンクリートの骨材として火山灰を利用する方式が考案され、実用化に向けて研究が進められている。 最近では、住宅用建材としてシラス壁といわれる壁材が火山灰を主原料としてつくられている。
また、日本では古来火山灰を磨き粉(クレンザー)として利用していたり、阪神甲子園球場のグランドの土に利用されたり、現代においてフェイシャルエステに火山灰を混入させたクリームを使用していたりする。まれではあるが、焼き物の釉薬(陶磁器や琺瑯などを製作する際に、粘土等を成形した器の表面にかける薬品) として桜島の火山灰を利用している例もある。
かごしま港めぐり(硫黄島港)
硫黄島港は、島の北西部に位置しており、村営定期船「みしま」が就航しています。また、村が開催する「MISHIMA CUP」では県外からのヨットも寄港します。
問い合わせ先:
鹿児島地域振興局建設部河川港湾課
〒892-0817 鹿児島市小川町3番56号 TEL: 099-223-01016
定期航路
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航路名 |
船舶名 |
航路経路 |
海上距離 |
事業者名 |
便数 |
備考 |
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三島 |
みしま |
鹿児島〜竹島〜硫黄島〜大里〜片泊 |
153 |
三島村 |
3便/週 |
フェリー |
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背後地情報 |
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●三島村役場(本庁) |
三島村
三島村 みしまむら http://www.mishimamura.jp/
鹿児島県鹿児島郡の村。薩南諸島のうち薩摩半島の南約50kmの海上にうかぶ、東から竹島(たけじま)、硫黄島(いおうじま)、黒島(くろしま)の3島と周辺の新硫黄島や岩礁とで構成する。
霧島火山帯に属する火山群島で、硫黄島の硫黄岳は現在も活動している。
各島ともけわしい山地が多く平坦地が少ない。第2次世界大戦前は南方のトカラ列島とともに十島村(じっとうそん)と称したが、戦後北緯30度以南がアメリカ軍政下におかれたため、北部の3島が分離独立して1952年(昭和27)村制施行した。
村役場は鹿児島市におかれ、村営定期船が就航している。面積は31.36km2。人口は395人(2003年)。
村の基幹産業は肉牛飼育の畜産業で、3島のうちでは最大の黒島が中心。
林業では、竹島に多くみられるリュウキュウチクのタケノコを生産する。
ほかの産物にツバキ油の原料とされるツバキの実、シイタケなどがある。漁業はイセエビ漁などをおこなう。硫黄島では江戸時代、薩摩藩の対中国貿易の輸出品でもあった硫黄の採掘が1964年までつづいた。
現在は良質の珪石を産出し、建材や化学製品の原料として期待されている。
別名、鬼界ヶ島という硫黄島は平安時代末期、鹿ヶ谷事件の首謀者の僧、俊寛がながされた島として知られ、1995年(平成7)には俊寛の像が建立された。
また、壇ノ浦の戦でやぶれた平家の落人(おちうど)が、安徳天皇とともにのがれてきたという平家伝説ものこる。3島の周囲は岩場が形成され、年間を通じて釣り客がおとずれる。
薩南諸島 さつなんしょとう
鹿児島県大隅半島から台湾につらなる南西諸島の北半分、鹿児島県に属する島々の総称。
大隅諸島、トカラ列島、奄美諸島の3地域に大別される。おもな島々は、大隅諸島の種子島、屋久島、口永良部島など、トカラ列島の口之島、中之島、臥蛇島(がじゃじま)、平島(たいらじま)、諏訪之瀬島、悪石島(あくせきじま)、宝島など、奄美諸島の奄美大島、喜界島、加計呂麻島(かけろまじま)、徳之島、沖永良部島、与論島などで、大隅諸島の西方沖にうかぶ竹島、硫黄島、黒島の口之三島、草垣群島、宇治群島もふくまれる。
なお、徳之島西方約65kmに位置する無人の硫黄鳥島は沖縄県久米島町に属するが、薩南諸島のひとつと考える。
琉球弧の北部にあたり、地質構造や地形から3列に区分される。内帯にあたる東シナ海側の島々は霧島火山帯に属する火山島で、黒島や臥蛇島など旧期琉球火山帯と、硫黄鳥島や諏訪之瀬島など中期および新期琉球火山帯をふくむ。
中央帯は古期の堆積岩や深成岩からなり、屋久島、奄美大島、徳之島などのように高峻な山地を有する。太平洋側の外帯は第三紀の堆積層からなり種子島、喜界島、沖永良部島など低平な島が多い。
ほぼ全域が黒潮にあらわれ、冬でも温暖多雨な亜熱帯気候である。台風銀座の異名をもつ台風の常襲地でもあり、6〜9月に集中して上陸する。
第2次世界大戦後の1946年(昭和21)に薩南諸島のうち北緯30度以南がアメリカ軍の軍政下におかれた。臨時北部南西諸島政庁、のちの奄美群島政府が設立されたが、活発な日本復帰運動はたえずおこなわれていた。その結果、52年2月10日にトカラ列島が復帰し、十島村として発足、翌年12月25日に奄美諸島も復帰をはたした。